お惣菜の一つとしてだけでなく、時には酒の肴になったりお茶うけになったり、また、お茶漬けや仕上げのご飯の際には欠かせない漬物。私たち人間との付き合いも当然古く、大和朝廷の時代には、すでに漬物を作っていたという記録が残っています。但し、この頃の漬物はすべて塩漬け。「漬物を作る」という発想ではなく、野菜を塩漬けにして保存するという意識でした。 その後、塩漬けだけにとどまらず、奈良時代には、醤油や味噌、酒粕、酒、もろみなどにさまざまな野菜を漬けて保存する方法が登場。しかし、この頃でも、漬物は一般庶民の食べ物ではなく、僧侶や貴族の保存食の扱いでした。 平安時代になると、ようやく漬物は次第に庶民の生活にも浸透し始めますが、それでも、今日のような「漬物」という独立した食品の概念はなく、「野菜を漬けたもの」や「(塩などに)漬けた野菜」という意識で、副食品として食卓に上がっていました。
この漬物が一大発展を遂げたのは室町時代のこと。面白いことに、この発展には一見、漬物とは対極にあるものが深く関係しています。そのあるものとは…なんと、「聞香(もんこう)」。香木を燃やし、その香りをかいで香木の名前を当てるという高尚な遊びです。今日でも、「香道」として華道や茶道と同じく、家元制度で作法などが伝えられています。この聞香が盛んに行われ始めたのが室町時代でした。
漬物といえば、まずたくあんを思い浮かべる人が多いでしょう。同時に、その強烈な臭いも思い出せば、「聞香」との関係に思わず首をひねりたくなるのではないでしょうか。しかし、これにはちゃんとした理由がありそうです。 実は、「聞香」に使う香木は驚くほど種類が多く、しかも、その個々の香りの違いはといえば、素人にとっては無いも同然。その道で修業した人でなければ、香木の名前をかぎ当てることなど不可能といえるほど聞香は繊細極まる遊びでした。 それだけに、「聞香」の席に参加する人でも、一度に何種類もの香木をかげば、敏感な鼻も、香木の香り自体に慣れ過ぎてマヒしてしまいます。そこに漬物の強烈な臭いが割り込めば、鼻がもとに戻るということなのでしょう。ワインの試飲の際には、パンを間に食べて舌を新鮮にする…というのと同じ発想ですね。 もっとも、この聞香に主に使われていたのは今日のたくあんではなく、どうやら大根の味噌漬け。残念ながらたくあんの誕生は江戸時代。諸町政権のこの時代にはまだ、歴史の舞台に登場していませんでした。
漬物のことを「香の物(こうのもの)」、「香々(こうこ)」というのは、聞香との関わりから発生した言葉です。但し、その由来は「聞香の際に使うから」、という説があれば、聞香には主に味噌漬けが使われ、その味噌が「香り高い調味料」であるから、という説もあります。いずれが正解なのかについては、今もってはっきりしていないようです。 なお、「お新香(おしんこ)」は、「香の物(こうのもの)」、「香々(こうこ)」を受け、ずっと後の江戸時代に生まれた言葉。但し、当初は名前の通り、一夜漬けや浅漬けをそれまでの漬物と差別化するため、「お新香」と呼んでいました、それが次第に忘れられ、すべての呼び名が混じり合ってしまい今日にいたっています。 ちなみに沢庵の呼び方では、「おおねづけ」というものも。漢字で書けば「大根漬け」で、まさにそのままなのですが、これは主に上品を旨とする上流武家社会で、しかも女性言葉として用いられていたようです。
不作というと少し聞こえが悪いのですが、漬物には、古くから漬物作りが盛んで、その種類が多い地域があれば、そうではない地域があります。 歴史の項目でもご紹介したように、漬物は元来、野菜を始めとする食品保存が目的ですから、たとえば雪国で冬の間は作物がまったく採れない地方では、冬の間は野菜に不自由することになります。そこで、冬の間でも野菜を充分に食べられるようにと考えだされたのが野菜を塩漬けにした保存食。すなわち漬物の先祖です。その後、同じ保存食として作るなら、できるだけ美味しく食べたいという気持ちが塩漬けだけでなく、味噌漬け、粕漬け、ワサビ漬けなど多彩な漬物誕生の原動力となっていきました。
こうした理由のため、漬物の豊作地は概して自然条件が厳しい地域。それを顕著に表しているのが東北地方や北陸地方の漬物の多彩さです。東北・北陸といえば、冬は雪に閉ざされてしまう地域の多いところ。当然、冬は農作物の収穫が望めません。そもそも、農作業自体ができません。かつて、まだ日本の国が貧しく、先進国などという呼称と縁の無かった頃、東北地方から都会への出稼ぎ者が多かったことも、当時の東北地方の生活の厳しさを物語る事実でしょう。 なお、東北地方や北陸地方以外でも、自然条件の厳しいところでは、有名な漬物が誕生しています。例をあげれば、野沢菜漬け。野沢菜漬けといえば長野県というのは、漬物好きの方や旅行好きの方、はたまた最近はデパートで開催される物産展好きの方なら、すぐに思いつく組み合わせでしょう。これもまた、内陸で雪深い土地という気候条件が生み出した味というわけです。
逆に、漬物の不作地としての筆頭はというと、それは四国。とりわけ瀬戸内海地域では、古くから人気の漬物というのがありません。これは、四国の気候が温暖な上、外海に比べればずっと波穏やかな瀬戸内海に面しているため。冬になっても雪に閉ざされることが無いため、農作物つくりが可能ですし、山の幸などにも寒い地域よりずっと恵まれています。 しかも、波穏やかな瀬戸内海に面しているということは、海の幸にも不自由しないため、魚介の保存にもあまりこだわらずにすみます。そのため、四国では昔から有名な漬物というのがありません。もっともこれは、四国が新鮮な食材に恵まれた土地という歴史を経てきたということでもありますが、同じ瀬戸内海地域でも、本州側となるとちょっと状況が違ってきます。なぜなら、本州側は、冬は寒い山陰地方と地続き。このため、山陰で発達した漬物が伝わり、少なくとも四国側よりは漬物文化が発達したようです。
四国同様に温暖な地域でも、九州地方となるとこれまた別の事情で味噌付け、醤油付けなどの調味料漬けに限り、けっこう多彩な漬物が生まれてきました。これは、暖かさというより暑さゆえ。というのも、暑いといろいろなものが腐りやすくなります。そうした気候の下では、塩漬けの漬物も発酵が進み過ぎておいしく作ることができません。そのため、すでに発酵食品として一度完成されている醤油や味噌、粕などが使われました。そうすることで発酵をゆっくりにさせることができたからです。暑い地域には暑い地域なりの工夫。これもまた、先人の知恵と工夫と苦労を大いに感じる事柄ですね。
そうした自然環境以外の大きな理由で漬物が発達した地域があります。それは京都。もちろん、内陸盆地の京都は冬の気候が厳しく、海も遠いため保存食を必要とする気候条件が揃っていますが、それとは別に、漬物が大きく発達したのは室町時代。しかも、それは「聞香」の流行りに足並みを合わせたものでした。
当時、京都は朝廷が住む日本の中心地。当然、聞香を楽しむ貴族文化の中心地でもあります。今でいえば首都ですから、貴族にとどまらず庶民もまた、文化的な事柄に高い関心を抱くのは自然な流れ。つまり、京都の漬物は「保存食」という意味合いと同等、あるいはそれ以上に「文化の味」として発達したというわけです。
えて、一度戦乱でもあると一番被害をこうむるのは、都である京都。そうした歴史の中で京都の住人は先祖代々、質素な生活を美徳としてきました。漬物はその精神にもぴたりと合い、さらに都人ならではの文化的気質で美味しい漬物をいろいろと発案します。かくして、今でも京都は日本を代表する漬物どころ。京都観光のお土産に漬物を買って帰った思い出のある方も少なくないのでは?
ちなみに、こうした地方別の特性もあれば、地域によっては特殊な漬物が発達した例もあります。北陸のニシン漬け、東海地方のワサビ漬け、北海道の松前漬けなどがその例。これらは、その地域が代表的な産地であったことから生まれた味。身近に豊富にある材料を上手に使うこともまた、漬物の文化を発達させる大事な要素だったようですね。
漬物が発酵する過程において、温度は欠かせない要素です。漬物の発酵は低い温度で時間をかけて発酵させたほうが良い味に仕上がるため、美味しい漬物は概して、東北や北陸などの寒い地域で誕生しています。 また、高い温度は、漬物の材料を「発酵させる」のではなく、単に「腐らせてしまう」要素にもなります。つまり、気温の高さは漬物作りにはマイナス材料。もちろん、暑い地域でも漬物はできます。しかし、腐らせずに発酵させるためには、殺菌効果のある塩分が寒い地域に比べて余分に必要になります。ならば塩をどっさり…となると、仕上がった漬物はやたら塩辛いだけで美味しくも何ともないものになってしまいます。気候が温暖な地域に漬物文化が育ちにくかったのには、こんな理由もあるのです。
今と違って交通手段が乏しく、またインターネットはもちろん、テレビもラジオも電話もなく、郵便ですら、飛脚(当時の郵便&宅配人)がその足で届けるため何日もかかって届くのが普通の昔々。その頃は、同じ地域の農家では同じ作物を作るのが当たり前でした。 なにしろ、今日のようにビニールハウスや温室などという設備もありません。そもそも、どんな地方でどんな作物が作られているかという情報さえ、全国を漂泊する旅の僧や商人などに聞く話がそのまま大きなニュースという時代です。 そんな暮らしの中では、たとえば農閑期。寄りあいやお祭りなどで人が集まる際に、「今年はナスが豊作だったからナスをお土産に…」、というわけにはいきません。なにしろ、ご近所はもちろん、村じゅうが同じナスを作っているのですから、「わが家が豊作」ということは、ご近所はもちろん村中が豊作。ナスばかりが山のように集まってしまうことになりかねません。そこで登場するのが漬物です。
漬物は一夜漬け即席漬けを除けば本来が発酵食品ですが、この発酵過程においては、自然界に存在するさまざまな「菌」が大きな影響を及ぼします。その代表的な菌が乳酸菌。 そしてこの乳酸菌をはじめとする菌は、野菜が「漬物」に変身していくためにたどる発酵の道のりを助けるだけでなく、その味の生成にも大きな役割を果たすのです。しかも面白いことに、人にそれぞれ個性があるように乳酸菌にもそれぞれの個性があります。つまり、家が違えば乳酸菌も違い、出来上がる漬物の味も違ってくるというわけです。これは乳酸菌に限らないことで、つまり、その家に住む菌類によって漬物の味が変わってくるわけです。加えて、塩加減や味噌加減、辛い味付けが好きな家庭、薄い味付けの家庭など、それぞれ違ってきます。かくして出来上がった漬物は、それぞれ違った味に。同じナスを持ち寄ったとしても、漬物になっていたなら、その味は十人十色で、それぞれの「わが家自慢の」味の漬物を持ち寄ることができます。その味の違いがまた、賑やかな話の種にもなったことでしょう。
お隣の韓国が発祥のキムチ、ドイツに代表されるザワークラウト(キャベツの酢漬け)などなど、日本だけでなく世界各地にもある漬物。これほど人類に愛されてきた漬物ですが、実は栄養価においては決して優等生ではありません。もちろん、野菜の漬物の場合は、その野菜がもともと持っている栄養素、魚介の場合はその魚介が持っている栄養素は大半が漬物になっても失われずに生きていますから、まったく栄養価が無いわけではありません。しかし、栄養素の中には鮮度とともに失われていくものがあります。だから、新鮮な素材に比べれば、漬物の栄養価は少しばかり落ちているわけです。それでも漬物は世界中で長く愛され続けています。なぜなのでしょう。その秘密は、漬物の味わいにあります。
実は漬物は大半が、その味わいによって食欲を増進させる力を持っているのです。また、料理と料理の間の口直しとしても大きな役割を果たしました。なにしろ昔は今のように食生活が多様ではありません。手にいれることのできる食材も少なく、しかも地域や季節によって偏っていたりしました。そのため、お惣菜なども単調になりがちです。 それでも人々は働くために、しっかり食べなければ体が持ちません。そんな暮らしの中では、さぞかし漬物は食生活の充実に大きな役割を果たしたことでしょう。先人たちは、その経験や舌の感覚によって、それとは意識しないままに「より食欲をかきたてる味」を追求してきたに違いありません。それが今日、数多の美味しい漬物の系譜を生み出したのでしょう。 外食で定食を頼めば大抵の場合、片隅に鎮座する漬物。「そういうもの」として受け止めている方が大半でしょうが、実は食欲増進と口直しというれっきとした理由があったわけです。今度、漬物を口にする際には、その存在価値の大きさ、そして先人の工夫と苦労に…どうぞ想いを馳せてみてください。